高林の杉玉

私たちについて

私たちについて

 2018年秋、長男の誕生を控え、私たち家族は東京からUターンをしました。

 私(夫)の両親家族と築100年以上の古民家に住みながらも、「自分たちを表現できる暮らしがしたい」という思いを実現するため、紆余曲折を経て、2024年に自宅敷地内に僕たち家族3人の住まいを建てました。→【リンク】設計:武川建築設計事務所「杉の家」

 裏山から伐り出した杉材を用いたり、室内と外が繋がる間取りにするなど、限られた予算とミニマムの設計のなかに自分たちの思いを詰め込みました。

 もともと、この家は住まいとするだけではなく、私たちの「創作する暮らし」を通じた人々との出会いと体験の場にしたいという思いもありました。ですから、それを表現する機会として、オーガニックなイベントを開催したり、メッセージを発信していくのも今の私たちのライフワークのひとつとなっています。

 私たちの暮らしは、決して「穏やか」でも「丁寧」でもありませんし、確かで清らかなポリシーがあるわけでもありません。
 不安定な収入のなかで、かなり個性的でアートな長男とともに、慌ただしい毎日を過ごしていくことに精一杯です。

 こんな現実だからでしょうか、遊休地の活用、食糧と燃料の自給、景観と環境の保全など、やりたいことや、やらなきゃいけないことが、次から次へと目の前に現れます。
 だからこそ、心で感じ、頭で考え、手を動かして自分たちで暮らしを創っているという充足感を実感できていることは確かです。

 ちょっと変わった私たちの暮らしぶりですが、今風に言えば多様性に富んでいると表現できるのかもしれません。これからの時代、生き方や働き方の多様化はさらに広がっていくでしょう。居住地も一か所ではなく、複数持つ時代になると思います。
 そんな未来に向かっていくときに、私たちのライフスタイルが何かを伝えることができたらと思いながら、日々を暮らしています。


代表 熊﨑惣太

 1979年、代々林業を生業とする高林(この家)の長男として生まれる。年頃になると都会への憧れが強くなり、ここぞとばかりに東京農業大学へ進学。卒業後も「まだ田舎に帰るのは早い」と、飲食業に身を置く。26歳でいったん地元に帰るものの、1年後に2度目の上京を果たし、NPO法人で地域活性化に携わる。

 30代後半、長男を授かり東京出身の妻を連れて岐阜・下呂へ帰郷。父親が細々と作っていた杉玉を、生業のひとつとするために「杉玉の高林」を開業。杉玉の制作をメインとしつつ、民間企業や行政機関で働くなどパラレルワークをスタート。

 現在は、下呂市役所の移住相談や、地域づくり団体の役員などとして、地元の活性化にも取り組みながら、今年(2025年)から、仲間とともに遊休地を利用した自然なコメ作りに挑戦中。

●最高の時間の過ごし方 心地よい音楽を聴きながらお酒を愉しむこと
●元調理師
●SSI認定唎酒師
●フォークリフト運転できます

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